重大事故の続発によって、当社は社会的批判の対象となる一方、安全卫生管理に対して法律的、行政的にも厳しく责任を追及された。いずれの事故も刑事责任については不起诉処分となり、刑事罚は免れたのであるが、当社自身が深く反省、自戒したことはいうまでもない。
昭和47年(1972)6月、労働安全卫生法が制定され、灾害防止に関する特定元方事业者の责任が明确化されたのに伴い、当社では同年12月、全支店の土木部、建筑部、工务部など施工计画担当部门にそれぞれ労务课を新设した。また、50年4月には「安全卫生管理规程」を制定し、安全管理に万全を期した。にもかかわらず重大事故が短期间に続発したため、早急に社内体制の见直しを行い、51年7月、労务安全卫生机构の大幅改正を実施した。
改正の要点は次のとおりである。
1 工事现场の安全卫生管理を指导?监督するため、施工担当部门から独立した部?课、すなわち各店に土木、建筑安全监督部?课を新设し、技术系职员を配属した。
2 全店の安全卫生に関して総合的な管理を行うため、土木本部および建筑本部(东京本社)に安全管理部を设けた。
3 工事机械の安全卫生に関する指导?监督を行うため、机械工场に安全监督课または担当次长を置き、全店的管理业务を行う部门としては机械部に安全管理课を新设した。
4 労务部?课を労务安全部?课と改称し、対外活动と安全卫生に関する実施事务等を担当することとした。
また、事故発生直后の51年2月、中央安全卫生総括责任者赤野副社长は「灾害防止の彻底について」の通达を発し、5月には、大林社长より「工事现场における事故の絶灭について」と题する示达が行われた。
一方、大阪労働基準局では、8月下旬、本店管内の各工事现场を一斉査察し、続いて本店に対する店社査察を実施した。さらに9月には、全国20カ所の労働基準局管内において、当社の土木现场に対して特别査察が行われるなど、监督官庁の行政指导はきわめて厳しいものであった。
事故の続発は社长示达が指摘したとおり、当社の信用を低下させ、公司活动にも支障を生じたことは否定すべくもなかった。これら工事を発注した栃木県、东北农政局、中部地方建设局はもとより、他の官公庁からも工事入札の指名停止、あるいは指名回避の処置も受けた。
また、内部的には业绩の回復を目指し、全力を倾けつつあった従业员、とくに営业部门の士気に少なからぬ影响を及ぼした。このように叁大事故がもたらした有形、无形の损害は、はかり知れないものがあったが、反面、これによって教训を得たことも事実であった。
翌52年における安全成绩は、単独工事における事故死亡者は1名で、その后はこのような大事故の発生をみていない。これは安全管理体制の整备、充実を物语るとともに、协力会社の末端に至るまで危机感が浸透し、安全をすべてに优先させた努力の成果ではあったが、いまなお忘るべからざる教训として铭ずべきである。