日本経済の高度成长に伴い、都市化が进み、多くの都市公害が生まれたが、なかでも騒音と振动については建设工事がその発生源として指摘され、社会から非难されることになった。建设业者は、これらの公害防止のために无音无振动地下工法の导入开発に努めたが、当社が他社に先がけて开発に成功したOWS工法は、独自の技术开発として高く评価されている。OWSのOは大林、Wはウェット、Sはスクリーンの略である。
これまで地下に建造物をつくるには、まず周囲に矢板を打ち込んでいたが、矢板は止水の目的を完全に果たさないばかりか、打込みに际して大きな振动と騒音を伴う欠陥があった。OWS工法はこの欠点を是正するもので、ベントナイトその他の泥水液を充満させつつ、地中に长小判形断面の竪沟を连続掘削し、この中に鉄骨または鉄筋コンクリート製の构造体を构筑して、これを土留用壁体とする工法である。
この工法のヒントはイタリアから导入されたイコス工法から得た。无音无振动工法を模索していた当社技术阵は、昭和35年(1960)夏、中部电力の畑薙ダム工事に採用されているこの工法を见学し、きわめて注目すべきものとして研究に着手した。掘削机械がないまま、さく井机を用いて穴を掘るなどの苦心をしながらテストを进めた。その结果、一応コンクリートの柱列ができ、ベントナイトの止水効果も确かめられたので本格的な开発に取り组み、翌36年4月には、OWS工法の名称も决まった。このときの実験工事の経験から、吸上げ式パーカッション型掘削机械が开発された。
実用に供されたのは新大ビルの第2期工事のときで、柱列式で行われたが、柱列式にはさまざまな问题点があることがわかり、连続壁体をつくるために机械部でクラムシェルバケットの试作を开始し、その使用によって现在のような连続壁体が可能となった。
クラムシェル、パーカッションの両方式を最初に使用した工事は、37年5月、大阪の池万ビル建设のときで、これが本格的OWS工法のはじめといえる。続いて39年、ロータリーカッターを开発し、40年には中国电力下関発电所工事で、OWS壁体を支持杭に利用した。このときは板状の支持杭のほかに、闭锁多角形の平面でケーソンと同様のものをつくり、烟突の基础としたものである。また、このころ行われた名古屋近鉄ビル(JV)工事では、壁体の継目に鉄板を使用する工夫も行われ、后にPCコンクリートで鼓形のものをつくり、継目を処理する方法も开発された。
当初のベントナイト泥水の処理法は石油ボーリングの泥水管理法を踏袭したが、技术研究所では农业化学の研究者を迎え入れ、独自にCMC、分离剤、逸泥防止剤などを添加调合する新たな処理方法を开発した。そして、泥水の品质を管理するための大林式泥水试験法や、廃弃液の処理による2次公害防止のため、廃液を水と固形分とに分离する廃液処理法も开発した。
初め、无音无振动の仮设土留壁を目标に出発したOWS工法は、このような过程を経て発展し、やがてOWS工法による地中连続壁は本工事の地下外壁として土圧を受け止める役割を果たすものとなり、さらに地震等の水平外力に耐えうる耐力壁としても使用されるようになった。41年、フランスのソレタンシュ工法を导入してからは両工法を併用。一体化することによって、当社の地中连続壁构筑工法はより完全な工法となり、当社の代表的地下工法の一つとして各种建设工事に広く採用されるようになった。
なお、44年7月、とくにOWS工法に関する功労者として谷口尚武常务をはじめ関係者27名が表彰されたが、本店技术部技术第二课の桥本良介课长は特别表彰を受けた。
パイルコラム工法も、OWS工法と时期を同じくして开発した无音无振动地下工法であり、地上から设置した杭(パイル)をそのまま地下阶の柱(コラム)とするためこの名称がある。これはラジオ东京(现?TBS)テレビ放送局局舎増筑工事において、アースドリルによる地中穿孔とコンクリート杭の挿入み施工からヒントを得たものである。パイルコラム工法として正式に使用したのは、36年8月、ヂーゼル机器本社工事である。
OWS工法等によって、刚性の高い山留壁が使われるようになってからは、地下工事にパイルコラム工法?逆打ち工法が多用され、工期短缩に大きく寄与した。こうしてこれらの工法は、工事の进行工程全般に大きな影响を与えたのである。

OWS工法施工の概要(当时)
OWS工法施工の概要(当时)