中国p站

中国p站100年史

1993年に刊行された「中国p站百年史」を电子化して収録しています(1991年以降の工事と资料编を除く)。
なお、社名?施设名などは、刊行时の表记のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

この時代の工事 昭和30年~昭和39年ごろ

高速交通网の整备に着手

この时期の交通网の整备は着しかった。なかでも最も注目されたのが东海道新干线と名神高速道路の开通である。

东海道新干线は、计画最高速度200㎞/hという世界最高时速、道路との完全立体交差化、ATCなどの装置をはじめ数々の画期的手段が採用されたが、东京オリンピックに间に合うよう工事が开始され、计画どおり昭和39年(1964)10月に开通したのであった。

工事に当たって、延长约170㎞に及んだ桥梁?高架桥では彻底した标準化で大幅な工期短缩を実现し、またトンネル施工では钢アーチ支保工と机械化施工法を组み合わせ、能率化した工法を全面的に採用して、総延长515㎞の工事を34年着工后わずか5年の短工期で完成した。

また、40年に开通した名神高速道路は、自动车时代を迎えたわが国が长距离?高速输送を目的として実现した最初の自动车専用高速道路であった。工事は33年に着手され、第1期尼崎~栗东、第2期西宫~尼崎、栗东~一宫、第3期小牧~一宫の3期4区间に分けて行われた。38年7月、まず尼崎~栗东间が开通し、40年7月には全线189.5㎞が完成した。

当社が施工した东海道新干线、名神高速道路の工区は次のとおりである。

<东海道新干线>

二宫付近路盘(神奈川県)、黄瀬川桥梁他(静冈県)、矢作川付近路盘(爱知県)、汐留高架桥、原(西)路盘(静冈県)、高槻地区高架桥、东京駅高架桥、大垣东路盘、沼津付近路盘、新大阪駅高架桥および駅舎

<名神高速道路>

伏见工区(京都市)、大垣工区、米原関ケ原舗装、今津工区(西宫市)

これら工事のうち、名神高速栗东~一宫间における最大の工事は大垣工区で、隣接して新干线の大垣东路盘工事も施工しており、当时名古屋支店の代表的土木工事がここに集中していた。ちなみに、当社の东海道新干线関係工事の受注総额は101亿3,000万円、一方、名神高速道路での当社の受注総额も100亿円近くに达した。

これに先立ち29年に第1次道路整备5カ年计画が発足、すべての道路についての整备が急速に进み、31年には日本道路公団も设立された。名神高速道路は同公団の高速道路であるが、阪奈道路も同公団の有料自动车専用道路で、当社が道路工事において重机类を大规模に駆使した最初であった。なお、この工事と并行して生驹自动车道路(生驹ドライブウェイ)4.5㎞のうち2.3㎞を施工した。

一方、东京都内、阪神地区などにおいても都市内交通のための自动车専用道路が计画され、34年に首都高速道路公団(东京)、37年に阪神高速道路公団(大阪)が设立され、都市高速道路建设に着手した。さらに、このころ各地で観光道路建设も进められ、当社は磐梯吾妻道路(スカイライン)のうち浄土平から土汤峠に至る11㎞や、蔵王道路(蔵王エコーライン)第3工区の工事などに従事した。また、芦有开発一般自动车道は民间事业で行われた同种の観光道路であった。

当社が施工した30年代の名神以外の代表的道路?道路桥工事は次のとおりである。

阪奈道路第2?3工区、生驹自动车道路、磐梯吾妻道路、芦有开発一般自动车道第2工区、东京都西新井桥、音戸大桥、天草连络道路大矢野线、名阪国道梶ケ坂工区?同天理第3工区(40年竣工)

东海道新干线二宫付近路盘
<神奈川県>昭和37年10月竣工
発注 日本国有鉄道
设计 日本国有鉄道
东海道新干线二宫付近路盘
<神奈川県>昭和37年10月竣工
発注 日本国有鉄道
设计 日本国有鉄道
东海道新干线矢作川付近路盘
<爱知県>昭和38年9月竣工
発注 日本国有鉄道
设计 日本国有鉄道
东海道新干线矢作川付近路盘
<爱知県>昭和38年9月竣工
発注 日本国有鉄道
设计 日本国有鉄道
东海道新干线新大阪駅
<大阪府>昭和40年3月竣工
発注 日本国有鉄道
设计 日本国有鉄道、鉄道会館
(写真は昭和49年7月撮影)
东海道新干线新大阪駅
<大阪府>昭和40年3月竣工
発注 日本国有鉄道
设计 日本国有鉄道、鉄道会館
(写真は昭和49年7月撮影)
名神高速道路伏见工区(京都南インターチェンジ)
<京都府>昭和37年12月竣工
発注 日本道路公団
设计 日本道路公団
名神高速道路伏见工区(京都南インターチェンジ)
<京都府>昭和37年12月竣工
発注 日本道路公団
设计 日本道路公団
名神高速道路大垣工区(大垣インターチェンジ)
<岐阜県>昭和39年9月竣工
発注 日本道路公団
设计 日本道路公団
名神高速道路大垣工区(大垣インターチェンジ)
<岐阜県>昭和39年9月竣工
発注 日本道路公団
设计 日本道路公団
音戸大桥
<広岛県>昭和36年9月竣工
発注 日本道路公団
设计 日本道路公団、当社
音戸大桥
<広岛県>昭和36年9月竣工
発注 日本道路公団
设计 日本道路公団、当社

行きづまる路面交通

地下鉄、地下街?驻车场の建设

人口の都市集中、マイカー时代の到来による路面交通の渋滞など、都市交通事情の激変によって、このころから地下鉄が都市交通において大きな役割を担うようになった。また、この时期、関西では私鉄の都心部乗入れのための地下化工事も行われ始めた。ちなみに、东京の地下鉄は昭和2年(1927)、関西では大阪地下鉄が同8年の开业であった。

30年代の当社施工の代表的な地下鉄工事は次のとおりである。

<东京地下鉄>

丸ノ内线东京工区、同线数寄屋桥工区、同线方南町工区、日比谷线西银座工区、东西线饭田町2工区(以上営団)、都営地下鉄浅草线业平桥工区

<大阪?京都地下鉄および私鉄地下化>

京阪淀屋桥延长线第1工区、京阪神急行京都地下鉄第3?第4工区(河原町駅)、御堂筋线新大阪及び南方停留场、大阪市我孙子车库第2期

また、地下に商店街を设け、立体的に地域の繁栄を図るとともに、地上の交通缓和に资する地下街という考えは日本独特の都市计画といわれるが、当社施工でその先駆をなしたのが、32年完成した大阪の难波地下センターであった。続いて38年に梅田地下センターが完成し、横浜では西口駅前広场下にダイヤモンド地下街および西口地下驻车场が完成、东京では、昭和通り路外驻车场および立体交差道路江戸桥第2工区の工事が行われた。さらに路面交通をまたいで走るモノレールが都市交通の新颜として登场し、当社は东京羽田浜松町间モノレール第7工区を施工、全线は39年に开通した。

ちなみに、この时期の地下鉄以外の代表的な鉄道工事としては、国鉄北陆本线敦贺今庄间第5工区隧道、近鉄奈良线生驹隧道西口があった。今庄隧道は当社が戦后手がけた最初の大断面隧道工事であり、近鉄奈良线生驹隧道は大轨时代のあの难工事であった生驹隧道に続き建设された2本目のトンネルである。

东京地下鉄日比谷线西银座工区
<东京都>昭和39年10月竣工
発注 帝都高速度交通営団
设计 帝都高速度交通営団
东京地下鉄日比谷线西银座工区
<东京都>昭和39年10月竣工
発注 帝都高速度交通営団
设计 帝都高速度交通営団
京阪神急行京都地下鉄第3?第4工区
<京都府>昭和38年6月竣工
発注 京阪神急行电鉄
设计 京阪神急行电鉄
(左写真が第4工区<河原町駅部>、左下写真が第3工区<隧道部>)
京阪神急行京都地下鉄第3?第4工区
<京都府>昭和38年6月竣工
発注 京阪神急行电鉄
设计 京阪神急行电鉄
(左写真が第4工区<河原町駅部>、左下写真が第3工区<隧道部>)
横浜駅西口ダイヤモンド地下街
<神奈川県>昭和39年12月竣工
発注 横浜駅地下街
设计 松田平田设计事务所
横浜駅西口ダイヤモンド地下街
<神奈川県>昭和39年12月竣工
発注 横浜駅地下街
设计 松田平田设计事务所
羽田浜松町间モノレール第7工区
<东京都>昭和39年9月竣工
発注 日立製作所
设计 日立モノレールコンサルタント
羽田浜松町间モノレール第7工区
<东京都>昭和39年9月竣工
発注 日立製作所
设计 日立モノレールコンサルタント

大ダム时代の到来と新鋭火力発电所の建设

电力、水资源开発などの要请を受け、昭和30年代に入ると空前のダムブームが到来した。施工技术においても、土工重机械の导入により革命的ともいえる进歩がみられ、またダムコンクリート技术も着しく进展した。

佐久间ダム完成の31年(1956)ころまでの大型ダムは例外なくコンクリート重力式ダムであったが、それ以降、アーチダム、中空重力式ダム、フィルダムなどさまざまな型式のダムが竞い合うがごとく次々と登场し、ダムブーム时代に花を添えるかたちとなった。

当社の施工した代表的なダムとしては、20年代后半に着工した佐波川ダム、糠平ダム、美和ダムが30年代に入って相次いで完成し、続いて八久和ダム、风屋ダム、天ケ瀬ダム、七色ダム、镜ダムを30年代に受注した。このうち、天ケ瀬ダムがアーチダム、七色ダムがコンクリート重力式ダムで、风屋ダムは堤高101m、堤顶长329m、堤体积59万?を超えるコンクリート重力式の大ダムであった。これらは主として発电用ダムであるが、うち佐波川ダム、美和ダム、天ケ瀬ダム、镜ダムは洪水调整などを含む多目的ダムである。

この时期に竣工した当社施工の主な水力発电所には次のものがある。このなかで読书第二発电所は日本で5番目、木曽川水系では最初の全地下式発电所であり、天ケ瀬発电所は半地下式発电所であった。

●水力発电

<北陆电力>

栃尾水力発电所第4工区、新中地山発电所圧力水路隧道、称名川第二発电所

<関西电力>

読书第二発电所(第3工区)、天ケ瀬水力発电所

<东北电力>

八久和発电所、上郷発电所、新日向川発电所

<北海道电力>

右左府発电所第3工区

<九州电力>

一ツ瀬発电所

<电源开発>

十津川第一発电所、七色発电所

<东京都>

多摩川第叁発电所第3工区

こうした大ダムの出现によって水力発电事业が进捗する一方、水主火従から火主水従へのいわゆる“第2のエネルギー革命”が进行していった。その理由は、开発条件の悪化によって水力の発电コストが逐年高腾してきたこと、これに対し石油火力は、燃料価格の低下と発电システムの技术进歩によって発电コストの低减が実现したことにあった。各电力会社は竞って高効率?大容量の新鋭火力発电所を建设した。当社が20年代に着手した関西电力姫路火力発电所第1期、九州电力苅田火力発电所第1期が30年に相次いで完成し、続いて30年代に、东京电力千叶火力発电所第1期~第4期、関西电力姫路第2期~第4期、九州电力苅田第2期?第3期、东北电力八戸火力発电所第1期、国鉄川崎火力発电所、中国电力坂火力発电所、九州电力新小仓発电所本馆および第2期、东京电力横浜火力発电所(土木)、北陆电力富山火力発电所第1期などが完成した。

このうち、関西电力姫路火力発电所は、戦后の火力発电所のモデルといわれ、鉄骨は全溶接构造であり、これは当时としては画期的なもので、多くの専门家が见学に访れた。また、东京电力千叶火力発电所は第1期から第4期の総出力が60万?に达し、当时、日本はもとより东洋最大の火力発电所であった。东北电力八戸火力発电所は东北地方最大の火力発电所で、当社はその発电施设すべての土木?建筑工事を施工した。贮炭场の鉄骨シェル构造による上家は、その设计?施工の优秀さを认められ建筑年鑑赏(33年)を受赏した。

さらに、30年代后半から40年代にかけ、エネルギーの主役は石炭から石油へと移っていったが、一方では原子力エネルギーの开発も始まり、茨城県东海村に日本原子力研究所が発足、国产第1号炉の建设に着手した。当社もこの建家建设他にJVの1社として加わり、同研究所で42年にはJMTR(材料试験炉)建家も施工したが、これがわが国における原子力発电所の実用化につながっていったのである。

八久和ダム
<山形県>昭和33年6月竣工
発注 东北电力
设计 东北电力
八久和ダム
<山形県>昭和33年6月竣工
発注 东北电力
设计 东北电力
风屋ダム
<奈良県>昭和35年10月竣工
発注 电源开発
设计 电源开発
风屋ダム
<奈良県>昭和35年10月竣工
発注 电源开発
设计 电源开発
天ケ瀬ダム
<京都府>昭和39年10月竣工
発注 建设省
设计 建设省
天ケ瀬ダム
<京都府>昭和39年10月竣工
発注 建设省
设计 建设省
七色ダム
<和歌山県>昭和40年9月竣工
発注 电源开発
设计 电源开発
七色ダム
<和歌山県>昭和40年9月竣工
発注 电源开発
设计 电源开発
东北电力新日向川発电所
<山形県>昭和38年12月竣工
発注 东北电力
设计 东北电力
东北电力新日向川発电所
<山形県>昭和38年12月竣工
発注 东北电力
设计 东北电力
东京电力千叶火力発电所(第1期~第4期)
<千葉県>昭和32年4月竣工(第1期) 昭和34年8月竣工(第4期)
発注 东京电力
设计 东京电力、ギルバート社(米国)
(第2期?4期工事は东京电力単独设计)
(写真は第4期工事完成后)
东京电力千叶火力発电所(第1期~第4期)
<千葉県>昭和32年4月竣工(第1期) 昭和34年8月竣工(第4期)
発注 东京电力
设计 东京电力、ギルバート社(米国)
(第2期?4期工事は东京电力単独设计)
(写真は第4期工事完成后)

大规模土地改良事业

八郎潟干拓と爱知用水?豊川用水

昭和30年(1955)、わが国は米の自给をほぼ达成した。この间における米作栽培技术の进歩はもとより、土地改良事业をはじめ农业土木事业の果たした役割は大きかった。同年农地开発机械公団设立、33年「开拓事业実施要纲」制定、36年「农业基本法」が成立し、これに基づき农业基盘の整备の促进を期して“开拓パイロット事业制度”が発足した。

これにより戦后の代表的な土地改良事业である爱知用水?豊川用水事业や八郎潟干拓事业など大规模パイロット事业が开始された。当社はこのいずれの事业にも携わっている。

32年に着工した八郎潟干拓事业は、约1万7,000?を开発するもので、最大能力毎分80?の排水ポンプ场の设置や、干拓堤防(约2亿?)の施工に大型施工机械を导入し、同规模の干拓であった児岛湾干拓が40年かかったのに比べ20年という画期的な短工期で完成した。

爱知用水?豊川用水事业は日本のTVAとも称され、知多?渥美両半岛の慢性的な农业用水不足の解消と、名古屋市周辺市町などへの上水の安定的供给、工业地帯への工业用水供给などを行う多目的水利开発事业であった。工事ではダムを建设し、长大な用水路(干线水路113㎞、支线水路1,012㎞)を开设した。

当社が担当した工事は、八郎潟では中央干拓部の南部排水机场、爱知用水では第9、第10工区(水路)、豊川用水では东部干线水路の岩二トンネルその他などであった。

このほか、大规模な水利事业として、この时期、広岛県発注の太田川东部工业用水道(総延长32.2㎞)布设工事があり、当社はその第2工区4.6㎞を担当、38年に着工し44年に完成した。

八郎潟中央干拓南部排水机场
<秋田県>昭和37年9月竣工
発注 农林省
设计 农林省
(写真は工事中)
八郎潟中央干拓南部排水机场
<秋田県>昭和37年9月竣工
発注 农林省
设计 农林省
(写真は工事中)
爱知用水第9、第10工区
<愛知県>昭和36年9月竣工(第9工区) 昭和37年3月竣工(第10工区)
発注 爱知用水公団
设计 爱知用水公団
(写真は第9工区)
爱知用水第9、第10工区
<愛知県>昭和36年9月竣工(第9工区) 昭和37年3月竣工(第10工区)
発注 爱知用水公団
设计 爱知用水公団
(写真は第9工区)

设备投资ラッシュ

鉄钢?石油コンビナートの形成とともに

戦后、わが国产业のめざましい復兴と発展により、昭和30年(1955)を迎えるころには、戦前に形成された既成工业地帯では、新规大型设备の立地が限界にきていた。また、鉄钢?石油化学工业における技术革新の波と豊富で安い石油时代の到来は、両产业の立地条件についての考えを大きく変え、原料供给工场を中心とした関连产业の集団であるコンビナートの建设构想をもたらした。こうしてこの时期、各地に临海コンビナートがつくられていった。

その一つであった大阪堺港の埋立地では、全7区のうち当社は第2区、第5区を担当したが、これらが完成后、当地は日本有数の重工业地帯となった。ちなみに、第2区では大阪瓦斯堺工场が当社の施工で38年に完成した。そのほか、大阪府泉北一区埋立工事や大阪南港防波堤工事、名古屋港第二区浚渫工事なども行っている。

30年代は、こうした鉄钢?石油コンビナートの形成とともに、電力?造船?自動車?電気機器工業などの設備投資も大々的に進められ、この結果、わが国は、かつての軽工業中心を脱して重化学工業中心の産業構造となっていったのであった。

こうしたなか、30年、31年は鉄钢ブームといわれ、鉄钢各社は第2次设备合理化计画をスタートさせた。计画では、5カ年で各社合计4,434亿円の设备投资を见込み、既存工场の拡充?増强とともに新立地に新工场を建设してこの目的を达成しようとした。また、製钢技术の进歩により製钢工场の新设が相次いだのも、このころの设备投资の特徴の一つであった。30年后半も、こうした设备投资の势いは多少の波を経ながらも衰えることなく続いた。

自动车产业は、20年代の困难な时期を乗り切って国产车の量产体制を整えてきた。33年には小型乗用车の対米输出が始まり、35年には空前の消费ブームで自动车生产も大きく伸びた。トヨタ自动车工业、日产自动车などの主要メーカーは月产1万台の生产を达成し、37年には国内の年间新车登録台数も100万台を突破したのであった。

电机业界は、30年代前半に着しい拡大を示し、いわゆる“叁种の神器”と呼ばれたテレビ、电気冷蔵库、电気洗濯机の生产を、29年から33年の4年间に各々47倍、24倍、3.7倍に拡大させていった。一方、ラジオも34年に年间1,000万台の生产を记録し、うち900万台が输出に向けられ、そのほとんどが米国向けであった。

35年以降も各社の设备投资は活発で、家电製品の普及もこの间着しかった。叁种の神器のほかに电子レンジ、カラーテレビも登场し、さらに电子机器に使用される重要部品ICの国产化に各メーカーが取り组み始めたのも30年代のことであった。

このほか、造船は、29年秋~32年秋の第1次输出船ブーム、38年からの第2次输出船ブームと好调を维持し、一方、繊维产业は、合成繊维需要が急速な伸びをみせ、工场増设は20年代に引き続き活発であった。

これらの工场のうち、30年代に完成した当社施工の代表的な工场は以下のとおりである。

<鉄钢>

日本钢管川崎製鉄所中径管工场?同水江製鉄所冷间および热间圧延工场?同鹤见大径熔接管工场、川崎製铁千叶製鉄所冷间圧延工场?同厚板工场、八幡製铁戸畑転炉工场?同第二転炉工场、神戸製钢所滩浜工场第叁分块工场、东海製铁冷延工场、住友金属工业和歌山製鉄所転炉工场、大同製钢知多工场製钢工场ならびに分块圧延工场?同中小型圧延工场

<自动车>

トヨタ自动车工业元町工场组立涂装工场?同ボディプレス工场?同第二组立工场、日产自动车第二本工场増筑?同追浜工场?同座间工场プレス、フレーム工场、いすゞ自动车藤沢工场第1期、ダイハツ工业池田第二工场

<电机>

日本电気玉川事业所第40?第41?第51工场および研究所?同相模原事业场A工场、松下电子工业高槻CRT工场、松下通信工业本社工场、明电舎沼津工场、东京芝浦电気小向工场62号建家?同府中工场第10号馆増筑?同タービン西工场

<造船?重机>

新叁菱重工业神戸造船所第3岸壁改修?同神戸造船所高砂工场(敷地造成も含む)、川崎重工业加古川工场

<繊维>

东洋レーヨン叁岛工场纺糸工场および后処理工场?同第叁製糸工场?同冈崎工场第二製糸工场?同爱媛工场T1製糸工场、帝国人造绢丝(帝人)松山テトロン工场?同松山工场DおよびS工场増筑、仓敷纺绩安城工场第四工场、仓敷レイヨン冈山工场FO工场?同中条工场?同エステル玉岛工场、旭化成工业富士工场および第2期、日本レイヨン冈崎工场増筑?同宇治工场ナイロン工场第4期、叁菱アセテート富山工场?同増筑、叁菱ボンネル広岛工场、大日繊维加古川工场

<その他の工场>

日本ハードボード工业工场、东亜合成化学工业徳岛工场、住友化学工业名古屋製造所电解工场、日本碍子热田工场?同知多工场?同小牧工场、日本板硝子若松工场増改筑?同千叶工场、大阪瓦斯北港工场?同堺工场、キヤノンカメラ取手工场?同玉川工场、武田薬品工业高砂工场?同湘南工场第1期、日本レダリー志木工场、朝日麦酒大森工场、不二家平塚工场第二工场、林兼产业大阪工场

また、各公司が研究所を建设し始めたのもこのころで、大阪瓦斯综合研究所本馆、东洋レーヨン基础研究所、帝人繊维加工研究所などのほか、电力中央研究所综合実験ビル、航空技术研究所迁音速风洞その他などは、30年代の当社施工の代表的研究施设であった。このうち、东洋レーヨン基础研究所は、有机化学を中心に化学全般にわたる基础研究を行う研究所で、わが国繊维产业界では最大の规模といわれた。当社の技术研究所が现在地に建设されたのもこのころで、40年に开所した。

日本钢管水江製鉄所热延工场
<神奈川県>昭和34年11月竣工
発注 日本钢管
设计 日本钢管
(写真中央に见える长大な建物が热延工场)
日本钢管水江製鉄所热延工场
<神奈川県>昭和34年11月竣工
発注 日本钢管
设计 日本钢管
(写真中央に见える长大な建物が热延工场)
川崎製铁千叶製鉄所冷间圧延工场
<千叶県>昭和33年3月竣工
発注 川崎製铁
设计 川崎製铁
川崎製铁千叶製鉄所冷间圧延工场
<千叶県>昭和33年3月竣工
発注 川崎製铁
设计 川崎製铁
住友金属工业和歌山製鉄所転炉工场
<和歌山県>昭和38年1月竣工
発注 住友金属工业
设计 日建设计工务
住友金属工业和歌山製鉄所転炉工场
<和歌山県>昭和38年1月竣工
発注 住友金属工业
设计 日建设计工务
大同製钢知多工场製钢工场?分块圧延工场
<爱知県>昭和37年10月竣工
発注 大同製钢
设计 日建设计工务
大同製钢知多工场製钢工场?分块圧延工场
<爱知県>昭和37年10月竣工
発注 大同製钢
设计 日建设计工务
トヨタ自动车工业元町工场ボディプレス工场
<爱知県>昭和35年6月竣工
発注 トヨタ自动车工业
设计 トヨタ自动车工业
(写真は元町工场施工中の全景?点线内が当社施工の工场栋)
トヨタ自动车工业元町工场ボディプレス工场
<爱知県>昭和35年6月竣工
発注 トヨタ自动车工业
设计 トヨタ自动车工业
(写真は元町工场施工中の全景?点线内が当社施工の工场栋)
ダイハツ工业池田第二工场
<大阪府>昭和36年11月竣工
発注 ダイハツ工业
设计 当社
ダイハツ工业池田第二工场
<大阪府>昭和36年11月竣工
発注 ダイハツ工业
设计 当社
日产自动车座间工场プレス、フレーム工场
<神奈川県>昭和39年12月竣工
発注 日产自动车
设计 当社
日产自动车座间工场プレス、フレーム工场
<神奈川県>昭和39年12月竣工
発注 日产自动车
设计 当社
日本电気玉川事业所第41工场
<神奈川県>昭和33年2月竣工
発注 日本电気
设计 日建设计工务
日本电気玉川事业所第41工场
<神奈川県>昭和33年2月竣工
発注 日本电気
设计 日建设计工务
明电舎沼津工场
<静冈県>昭和36年6月竣工
発注 明电舎
设计 当社
明电舎沼津工场
<静冈県>昭和36年6月竣工
発注 明电舎
设计 当社
东京芝浦电気タービン西工场
<神奈川県>昭和39年9月竣工
発注 东京芝浦电気
设计 当社
东京芝浦电気タービン西工场
<神奈川県>昭和39年9月竣工
発注 东京芝浦电気
设计 当社
帝国人造绢丝松山テトロン工场
<爱媛県>昭和33年7月竣工
発注 帝国人造绢丝
设计 日建设计工务
帝国人造绢丝松山テトロン工场
<爱媛県>昭和33年7月竣工
発注 帝国人造绢丝
设计 日建设计工务
新叁菱重工业神戸造船所高砂工场
<兵库県>昭和37年9月竣工
発注 新叁菱重工业
设计 新叁菱重工业
新叁菱重工业神戸造船所高砂工场
<兵库県>昭和37年9月竣工
発注 新叁菱重工业
设计 新叁菱重工业
仓敷レイヨン中条工场
<新潟県>昭和37年10月竣工
発注 仓敷レイヨン
设计 仓敷レイヨン
仓敷レイヨン中条工场
<新潟県>昭和37年10月竣工
発注 仓敷レイヨン
设计 仓敷レイヨン
朝日麦酒大森工场
<东京都>昭和37年5月竣工
発注 朝日麦酒
设计 日建设计工务
朝日麦酒大森工场
<东京都>昭和37年5月竣工
発注 朝日麦酒
设计 日建设计工务

高度成长とともにビル建设ブーム再び

経済の高度成长に伴い、商业、サービス部门の発展もめざましく、この分野における建设投资が大きく伸长した。とくに昭和30年代后半は事务所?店舗建筑の伸びが着しく、36年(1961)~39年は东京?大阪を中心に多くのビルが建设された。工事量が増加するとともに施工の机械化が大きく进展し、ビル建筑の大型化が始まったのもこのころからであった。

この背景としては、37年10月に景気调整策が解除され建筑投资抑制措置が撤廃されたこと、38年7月の「建筑基準法」の改正に伴ってビル建筑が急増したこと、38年中は金融缓和が続き第3次产业部门の设备投资が急増したこと、さらに39年には东京オリンピックに関连した建设投资が东京などで増加したことなどがあった。

建筑着工延床面积の内訳でみると、38年はそれまで伸び続けていた鉱工业と公益事业用の建筑が前年比で减少したのに対し、商业用は46%、サービス业用は35%も伸び、39年は商业用がさらに39%、サービス业用が22%増加した。

30年代に竣工した代表的な当社施工の事务所ビルは次のとおりである。

<30年代前半>

毎日大阪会馆北馆?南馆、新大ビル(第1期)、叁菱商事ビルディング、日本生命本社南馆、野村证券ビルディング新馆、东京海上火灾大阪支店

<30年代后半>

安宅产业本社、日比谷电电総合建物、日比谷会馆、东海银行本店、大阪兴银ビルディング?同别馆、北陆银行本店、电力ビル(仙台)、太阳生命本社(第1期?第2期)、新住友ビル、日本生命札幌ビルディング、大阪神ビル、虎の门电気ビルディング、住友生命本町ビル、叁菱重工ビル、叁菱电机ビル、ヂーゼル机器本社、日生日比谷ビル?日生剧场、互助会ビル、日本生产性本部ビル、池万ビル、イースタンビル、新大ビル(第2期)、日本生命本社本馆改筑(42年东馆竣工)、大阪証券会馆、农协ビル(东京)

このうち、新大ビルは、第1期工事完成当时でも西日本最大のビルといわれ、第2期増筑后の延面积は8万2,170㎡という大规模なものであった。东海银行本店は、银行専用の建物としては全国一といわれ、それは単に大きさのみでなく、设备その他の点でも全国一を夸るに足るものであった。电力ビルは、东北电力本社の全机构を収容するために建てられたが、同时にホテル、剧场、ショールーム、贷事务室、贷店舗を内包する多目的复合ビルで、当时东北地方最大のビルといわれた。同様に日生日比谷ビル?日生剧场も自社オフィスビルに剧场を含み、むしろその剧场で一般に広く知られている建物で、都市づくりに寄与するビル建设の新しいあり方として注目された。大阪神ビルも阪神百货店、オフィス、ショールームを収容する多目的ビルである。とくにその空调システムでは全自动のプログラムコントロール方式という画期的な试みが成功し、これに対し39年度の建筑学会赏、40年に毎日新闻社毎日工业技术奨励赏が与えられた。また、新住友ビルは住友グループの総本拠で、延9万270㎡は当时西日本における最大のマンモスビルであった。

さらに庁舎建筑では、20年代に着工した防卫庁庁舎、札幌邮政局庁舎が30年代に入り次々完成し、続いて香川県庁舎、仓敷市庁舎、青森県庁舎、京都中央邮便局、広岛市外电话局、叁重県庁舎、大阪府庁舎别馆などが30年代に完成した。このなかでも35年に完成した仓敷市庁舎は、戦后の架构构造の大きな特徴として登场してきたコア?システムが导入された初期の作品で、质の高い庁舎建筑と评判が高かった。

なお、香川県庁舎(35年)、日本生命本社南馆(35年)、东海银行本店(37年)、日比谷电电総合建物(37年)、大阪兴银ビルディング(38年)、北陆银行本店(38年)、新住友ビル(39年)はBCS赏を受赏した建物である(カッコ内は受赏年)。

毎日大阪会馆北馆?南馆
<大阪府>昭和31年6月竣工(北館) 昭和33年3月竣工(南館)
発注 毎日大阪会馆
设计 日建设计工务
(左写真が北馆、左下写真が南馆)
毎日大阪会馆北馆?南馆
<大阪府>昭和31年6月竣工(北館) 昭和33年3月竣工(南館)
発注 毎日大阪会馆
设计 日建设计工务
(左写真が北馆、左下写真が南馆)
叁菱商事ビルディング
<东京都>昭和33年10月竣工
発注 叁菱地所
设计 叁菱地所
叁菱商事ビルディング
<东京都>昭和33年10月竣工
発注 叁菱地所
设计 叁菱地所
日比谷电电総合建物
<东京都>昭和36年1月竣工
発注 公共建物
设计 公共建物
日比谷电电総合建物
<东京都>昭和36年1月竣工
発注 公共建物
设计 公共建物
新大ビル
<大阪府>昭和33年4月竣工(第1期) 昭和39年3月竣工(第2期)
発注 大阪建物
设计 村野?森建筑事务所
(写真は昭和33年7月撮影)
新大ビル
<大阪府>昭和33年4月竣工(第1期) 昭和39年3月竣工(第2期)
発注 大阪建物
设计 村野?森建筑事务所
(写真は昭和33年7月撮影)
日本生命本社南馆
<大阪府>昭和34年4月竣工
発注 日本生命
设计 日本生命
日本生命本社南馆
<大阪府>昭和34年4月竣工
発注 日本生命
设计 日本生命
东海银行本店
<爱知県>昭和36年3月竣工
発注 东海银行
设计 日建设计工务
东海银行本店
<爱知県>昭和36年3月竣工
発注 东海银行
设计 日建设计工务
野村证券ビルディング新馆
<东京都>昭和34年5月竣工
発注 野村证券
设计 安井建筑设计事务所
野村证券ビルディング新馆
<东京都>昭和34年5月竣工
発注 野村证券
设计 安井建筑设计事务所
大阪兴银ビルディング
<大阪府>昭和36年7月竣工
発注 兴和不动产
设计 山下寿郎设计事务所
大阪兴银ビルディング
<大阪府>昭和36年7月竣工
発注 兴和不动产
设计 山下寿郎设计事务所
电力ビル(仙台)
<宫城県>昭和35年8月竣工
発注 东日本兴业
设计 当社
电力ビル(仙台)
<宫城県>昭和35年8月竣工
発注 东日本兴业
设计 当社
日生日比谷ビル?日生剧场
<东京都>昭和38年9月竣工
発注 日本生命
设计 村野?森建筑事务所
日生日比谷ビル?日生剧场
<东京都>昭和38年9月竣工
発注 日本生命
设计 村野?森建筑事务所
仓敷市庁舎惫<冈山県>昭和35年5月竣工
発注 仓敷市
设计 丹下健叁计画研究室
仓敷市庁舎惫<冈山県>昭和35年5月竣工
発注 仓敷市
设计 丹下健叁计画研究室
新住友ビル
<大阪府>昭和37年6月竣工
発注 住友商事
设计 日建设计工务
新住友ビル
<大阪府>昭和37年6月竣工
発注 住友商事
设计 日建设计工务
农协ビル(东京)
<东京都>昭和39年12月竣工
発注 全国农业协同组合
设计 佐藤武夫设计事务所
农协ビル(东京)
<东京都>昭和39年12月竣工
発注 全国农业协同组合
设计 佐藤武夫设计事务所
叁重県庁舎
<叁重県>昭和39年4月竣工
発注 叁重県
设计 东畑建筑事务所
叁重県庁舎
<叁重県>昭和39年4月竣工
発注 叁重県
设计 东畑建筑事务所
叁菱电机ビル
<东京都>昭和38年1月竣工
発注 叁菱地所
设计 叁菱地所
叁菱电机ビル
<东京都>昭和38年1月竣工
発注 叁菱地所
设计 叁菱地所
香川県庁舎
<香川県>昭和33年5月竣工
発注 香川県
设计 丹下健叁计画研究室
香川県庁舎
<香川県>昭和33年5月竣工
発注 香川県
设计 丹下健叁计画研究室
大阪府庁舎别馆
<大阪府>昭和39年8月竣工
発注 大阪府
设计 日建设计工务
大阪府庁舎别馆
<大阪府>昭和39年8月竣工
発注 大阪府
设计 日建设计工务

多方面に向かう消费需要に応えて

高度成长は第2次、第3次产业を活性化したが、一方、国民所得の上昇をもたらし、消费需要はさまざまな方向に向かっていった。

デパートの売上げは戦后一贯して消费支出の伸びよりも高い伸びを示し続け、売上高は昭和24年(1949)の490亿円から35年には4,000亿円台へと急伸した。また30年代に入ると、とくに东京?大阪?名古屋といった大都市を中心に1时间内外の通勤时间圏内における人口の急増がみられたが、こうした沿线住民の购买力を吸収するために、ターミナルデパートの新设が一层増していった。当社施工の代表的なこうしたデパートには、横浜駅西口の相鉄会馆(横浜髙岛屋)と东京池袋駅西口の池袋东武会馆(东武百货店)がある。これらは、デパートを中心にターミナル周辺地区の开発に伴う多くの工事を当社が大々的に行ったのが特徴であった。

横浜駅西口では、まず横浜センター(相模鉄道横浜駅?西口名品街、髙岛屋ストア、ローラースケート场等)を31年に施工し、続いて相鉄文化会馆、相鉄会馆(横浜髙岛屋)、相鉄ビル、横浜ステーションビル、横浜駅西口ダイヤモンド地下街?地下驻车场等を34年から39年にかけて次々施工した。

池袋駅东口では34年东京丸物百货店(现パルコ)?国鉄池袋駅东口本屋を施工し、続いて同西口で池袋东武会馆(2~4阶东武百货店、5~7阶アイススケート场ほか)を37年に施工した。この工事と并行して当时难工事中の难工事といわれた国鉄池袋駅构内旅客连络地下道工事(37年竣工)や地下鉄工事も行い、39年には池袋西口协同ビルにも着手した。

一方、ホテルは30年代の半ばから第1次ホテルブームと呼ばれる建设ブームが起こり、35年から40年に至る5年间にわが国のホテルの収容力は约2倍に増加した。

このほか、28年に初の民放テレビ局発足から足ぶみを続けていたテレビ局新设が33年ころから急増し、また现在のゴルフブームの端绪ともいえるゴルフ场の相次ぐ建设も30年代后半に起こった。さらにスポーツ施设やホール?剧场なども官民あわせて数多く建设され、进学率の上昇から私立学校の建设もこの时期相次いだ。

以下は当社施工の代表的なこうした建物である。

<店舗>

大丸神戸店、难波地下センター、近鉄百货店阿倍野店増筑および第2期、东京丸物百货店?国鉄池袋駅东口本屋、相鉄会馆(横浜髙岛屋)、下関大丸、横浜ステーションビル、池袋东武会馆、大阪神ビル(阪神百货店)、髙岛屋东京店増筑第1期、藤崎百货店増筑、梅田地下センター(第1期)、横浜駅西口ダイヤモンド地下街、大丸神戸店中央馆増筑

<ホテル>

热海つるやホテル?同别馆、都ホテル新馆、京都タワービル(京都タワーホテル)

<放送局>

NHK东京放送会馆新馆?同东京放送会馆第二新馆?同东京放送会馆第二新馆増筑?同札幌放送会馆?同大阪放送会馆新馆、毎日放送千里丘スタジオ、ラジオ东京(现?TBS)テレビ放送局局舎増筑第1?第2?第3?第4次(42年竣工)、NHK放送センター第1期(JV)

<ゴルフ场>

茨木カントリー倶楽部、豊川ゴルフ场、戸塚カントリー倶楽部、仓敷カントリー倶楽部、长崎国际ゴルフ倶楽部諫早コース、池田カンツリー倶楽部9ホール増设(41年竣工)

<他のスポーツ施设>

平和台球场(内野席改修)、富山市体育馆、大阪市中央体育馆、横浜市文化体育会馆、国立代々木竞技场第二体育馆

<ホール?剧场?文化施设>

相鉄文化会館、愛知県文化会館講堂、札幌市民会館、大阪新歌舞伎座、电力ビル(仙台)、大和文华馆、福岡市民会館、日生日比谷ビル?日生剧场

<私立学校>

圣心女子学院本馆、武蔵野音楽大学コンサートホール、法政大学小金井校舎、甲南女子学园大学校舎、青山学院记念馆

<その他>

大阪国际见本市会馆増筑、大阪国际贸易センター、大阪科学技术センター、东京都児童会馆、神戸ポートタワー

なお、神戸ポートタワーと国立代々木竞技场(当社は第二体育馆を施工)は40年BCS赏を受赏した。

东京丸物百货店?国鉄池袋駅东口本屋
<东京都>昭和34年1月竣工
発注 日本国有鉄道、东京丸物
设计 日本国有鉄道、村野?森建築事務所
东京丸物百货店?国鉄池袋駅东口本屋
<东京都>昭和34年1月竣工
発注 日本国有鉄道、东京丸物
设计 日本国有鉄道、村野?森建築事務所
大阪神ビル(阪神百货店)
<大阪府>昭和38年6月竣工
発注 阪神不动产
设计 当社
大阪神ビル(阪神百货店)
<大阪府>昭和38年6月竣工
発注 阪神不动产
设计 当社
NHK东京放送会馆第二新馆増筑
<东京都>昭和38年8月竣工
発注 日本放送协会
设计 山下寿郎设计事务所
NHK东京放送会馆第二新馆増筑
<东京都>昭和38年8月竣工
発注 日本放送协会
设计 山下寿郎设计事务所
京都タワービル
<京都府>昭和39年8月竣工
発注 京都产业観光センター
设计 山田守建筑事务所、京都大学棚桥研究室
京都タワービル
<京都府>昭和39年8月竣工
発注 京都产业観光センター
设计 山田守建筑事务所、京都大学棚桥研究室
戸塚ゴルフ场(现?戸塚カントリー倶楽部)
<神奈川県>昭和38年3月竣工
発注 神奈川开発観光
设计 井上诚一?间野贞吉(コース)、
丹下健叁(クラブハウス)
戸塚ゴルフ场(现?戸塚カントリー倶楽部)
<神奈川県>昭和38年3月竣工
発注 神奈川开発観光
设计 井上诚一?间野贞吉(コース)、
丹下健叁(クラブハウス)
NHK大阪放送会馆新馆
<大阪府>昭和38年10月竣工
発注 日本放送协会
设计 当社
NHK大阪放送会馆新馆
<大阪府>昭和38年10月竣工
発注 日本放送协会
设计 当社
平和台球场(内野席改修)
<福冈県>昭和33年4月竣工
発注 西日本鉄道
设计 日建设计工务
平和台球场(内野席改修)
<福冈県>昭和33年4月竣工
発注 西日本鉄道
设计 日建设计工务
国立代々木竞技场第二体育馆
<东京都>昭和39年8月竣工
発注 建设省
设计 丹下健叁研究室+都市建筑设计研究所、
坪井善胜研究所
国立代々木竞技场第二体育馆
<东京都>昭和39年8月竣工
発注 建设省
设计 丹下健叁研究室+都市建筑设计研究所、
坪井善胜研究所
甲南女子学园大学校舎
<兵库県>昭和39年9月竣工
発注 甲南女子学园
设计 村野?森建筑事务所
甲南女子学园大学校舎
<兵库県>昭和39年9月竣工
発注 甲南女子学园
设计 村野?森建筑事务所
大阪科学技术センター
<大阪府>昭和38年6月竣工
発注 日本科学技术振兴财団
设计 日建设计工务
大阪科学技术センター
<大阪府>昭和38年6月竣工
発注 日本科学技术振兴财団
设计 日建设计工务
神戸ポートタワー
<兵库県>昭和38年11月竣工
発注 神戸港振兴协会
设计 日建设计工务
神戸ポートタワー
<兵库県>昭和38年11月竣工
発注 神戸港振兴协会
设计 日建设计工务

RC造?SRC造に日本的表现を求めて

近代建筑が巨大化?高层化を目指し、机能性を追求する一方、古い建物を復元したり、鉄筋コンクリートを使いながらも日本的独自性を模索する建物が出始めた。

その最初が丹下健叁氏のピロティ+コア、コンクリート轴组架构という表现形式を用いた広岛平和记念资料馆?记念馆(昭和30年)であったが、この手法をさらに进め、香川県庁舎(33年)では、RC造による日本的表现の一つの典型を完成させたといわれている。同庁舎の木割りを意识したコンクリートの梁の表现、庇を跳ね出したエレベーションは日本建筑の轩里を思わせると评判となった。

大阪新歌舞伎座は村野藤吾氏の设计で、伝统的建筑の细部意匠が大胆にデフォルメされており、桃山风をあしらった和风の古典様式、36个の唐破风、勾栏、何层にもめぐる庇や千鸟破风に着しい特色があった。

大和文华馆は、近畿日本鉄道の発注で、奈良市菅原町に建てられたユニークな美术馆であったが、新兴数寄屋と呼ばれる新しい和风形式の创始者である吉田五十八氏の设计、长屋门风のファサードが城郭を思わせ、むしこ窓に白壁?なまこ壁を配した外壁は土蔵をも思わせる管理栋と高床式の陈列栋で构成され、全体のプロポーションや内外空间の取り合わせ方などに日本风表现を求めている。

40年(1965)に完成をみて41年BCS赏を受赏した大阪南地の料亭大和屋(彦谷建筑设计事务所设计)は、地下2阶、地上5阶のSRC造であったが、日本风建筑であった。43年に完成した东京国立博物馆东洋馆は谷口吉郎氏の设计で、同じく同氏设计のRC造の和风表现であった东宫御所(JV)(35年竣工)につらなる作品であり、古典主义建筑の鋭い感性に里付けされた作品であった。

また、四天王寺の再建は、藤岛亥治郎、村田治郎、棚桥 谅、藤原义一の4博士が设计に参加、可能なかぎり创建当时の原形を復元しながらSRC造で建设された。五重塔は34年完成、その后、金堂(金刚组施工)、中门、讲堂重门(东西)、廻廊の顺で工事が进み、38年に全伽蓝の復兴をみた。このほかにも、30年代には、熊本城天守阁が復元されたり、明治の名建筑である旧岩崎邸の开东阁が改修復元された。なお、大和文华馆および四天王寺伽蓝は各々37年および40年BCS赏を受赏した。

大阪新歌舞伎座
<大阪府>昭和33年10月竣工
発注 千土地兴业
设计 村野?森建筑事务所
大阪新歌舞伎座
<大阪府>昭和33年10月竣工
発注 千土地兴业
设计 村野?森建筑事务所
南地大和屋
<大阪府>昭和40年7月竣工
発注 人美きく子
设计 彦谷建筑设计事务所
南地大和屋
<大阪府>昭和40年7月竣工
発注 人美きく子
设计 彦谷建筑设计事务所
大和文华馆
<奈良県>昭和35年10月竣工
発注 近畿日本鉄道
设计 吉田五十八
大和文华馆
<奈良県>昭和35年10月竣工
発注 近畿日本鉄道
设计 吉田五十八
四天王寺伽蓝
<大阪府>昭和34年4月竣工(五重塔再建)
昭和38年10月竣工(全伽蓝復兴)
発注 四天王寺
設計 四天王寺伽蓝復興建築協議会
四天王寺伽蓝
<大阪府>昭和34年4月竣工(五重塔再建)
昭和38年10月竣工(全伽蓝復兴)
発注 四天王寺
設計 四天王寺伽蓝復興建築協議会
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