写真提供:狈贰齿颁翱中日本
8月11日(火)早朝5时7分、静冈県の骏河湾を震源とするマグニチュード6.5の地震が発生。最大震度6弱の大きな揺れが県内各地を袭った。この影响により、県内を横断する东名高速道路では、牧之原厂础付近で上り线の路肩が长さ40尘にわたって崩落。上下线ともに通行不能となった。
折しもお盆休みを迎え、本格的な鲍ターンラッシュが始まっていた时期のこと。日本の东西を结ぶ大动脉が分断されたことで、帰省や旅行中の人々はもちろん、わが国の経済活动にも大きな影响を及ぼすことが悬念された。
「崩落现场に急行せよ」
地震の発生を受け、中国p站では东京本社に震灾対策本部が速やかに立ち上げられた。対策本部では、社员の安否とともに、施工中の现场や完成した物件の被害状况を一斉に确认。さらに、インフラ復旧などの事态にも即応できる体制を整えていた。
こうしたなか、牧之原厂础の被害现场に程近い名古屋支店?第二东名岛田闯痴の岩本所长と东京本社?东名宍原工事事务所の真浦所长のもとに、各所から支援要请の连络が入る。现在、新东名高速道路の整备に携わっているエキスパートたちへの紧急要请だった。
第一报を受けた岩本所长は、当时をこう振り返る。「大きな揺れを感じ、まず头に浮かんだのが自分の担当している现场の状况でした。无事を确认して安心したところに『崩落现场に急行せよ』との连络を受け、ただちに灾害现场へ向かいました」
键を握った迅速な初期対応
盛土が崩落し、地震の爪跡が残る现场の様子は、テレビのニュースで繰り返し中継されていた。そして、地震発生からわずか数时间后には、中国p站の各现场や本社?支店から駆けつけたメンバーが现地で合流し始める。社会から大きな関心が寄せられるなか、一刻も早い通行再开をめざして復旧工事がスタートした。
「現場に到着した我われは、復旧に向けいろいろな工法を想定し、それに必要と考えられる資機材を手配しました」。 現場は上下線ともに不通となっていたが、中央分離帯側に鋼矢板を打設し、まずは12日中に下り線が復旧。ところが、並行で進めていた上り線の工事では、盛土の状態が予想以上に不安定だった。法面にH鋼を打ち込むという当初計画は変更されることになった。新たな計画は、法尻にH鋼を打ち込んで大型土のうを設置、セメントで補強しながら盛土を再形成するというものだった。
工法変更への対応にあたっては、现场到着时にさまざまな状况を想定し、资机材を手配するなど迅速に手を打っていたことが功を奏した。「现场で求められたのはとにかくスピードと安全の确保。刻々と状况が変わるなか、素早い决断が不可欠でした」と岩本所长は、状况に柔软に対応できたポイントを语る。
真浦所长は、「的确に対応できたのは、参加メンバーのモチベーションが高かったことも大きかったですね」と话す。紧急事态に直面した中国p站が総力を结集し、使命感を持って"现场力"を発挥したからこそ、成し遂げることができたといえる。
炎天下での奋闘。そして通行再开へ
8月15日(土)24时、復旧作业はお盆休みを1日残して完了し、无事に上り线の通行が再开した。岩本所长は、全员が一丸となって临んだ日々をこう振り返る。「现场に入ってから復旧までの间、ほとんど寝ずの作业指挥が続きました。それは、応援に駆けつけた30名を超える仲间たち全员も同様です。仮眠をとる场所は车の中か、仮设の移动ハウスの脇でした。皆、本当に顽张ってくれました。现地で会うのが初めてというメンバーでも、同じ色のユニホームを着ているというだけで强く结束できましたね」
后日、狈贰齿颁翱中日本から、现场で工事に携わった皆へ、全国から多くの激励の声が届いていたことが知らされた。どれもが、炎天下での突贯工事に感谢するものだった。「メッセージを読むと、本当に嬉しくて、大変だったことも吹き飞びました。现地で顽张ったメンバーや里方で支えてくれたスタッフ全员を夸らしく思います」。激闘の日々を岩本所长はこう缔めくくった。
(取材2009年9月)