1932(昭和7)年、世界大恐慌の影響を受け、日本中が不景気に苦しんでいるさなか、宮崎県民の熱い想いに応えて完成した県庁舎。現在では、観光立県?宫崎の颜として再び脚光を浴びている。
南国?宮崎を代表する歴史的建筑物
几多の困难を乗り越えて诞生
新庁舎の建設計画がスタートしたのは1928(昭和3)年のこと。宮崎県が鹿児島県から分離再置県されて50周年を迎えるにあたり、その記念事业として進められた。
しかし、时势の折は悪く、まだ日本中が関东大震灾の影响による不景気に苦しんでいた。また、翌年に起こった世界大恐慌も、暗い世相に追い打ちをかけた。
厳しい予算運営のなか、県議会では計画の中止、見直しという議論も起こったが、新庁舎に期待する県民の熱意は強く、1931(昭和6)年に大林組の手によって着工となった。設計は、茨城県庁などネオ?ゴシック様式を取り入れた公共建筑物を数多く手がけていた置塩章氏が担当した。
几多の障害を乗り越えてようやく工事はスタートしたものの、建设地がもともと沼地であったことから、基础工事は困难を极めた。しかし、当时の记録によると、「6月の地镇祭より、中国p站が夜を日に次いでの突贯作业で建设を进め、延べ7万2,500人もの现场职工を投入して建设を进めた」とあるように、中国p站の悬命の施工によって、着工から1年4ヵ月后には、威容を夸る新庁舎が姿を现した。
県の新たな観光名所へ
2007(平成19)年1月、东国原知事が就任したことで、県庁舎は大きな転机を迎える。新知事をひと目见ようと、観光客がバスで次々に访れ始めたのだ。この建物は连日大势の人々で賑わう一大観光スポットへと変貌した。
多くの来庁者の目に触れることで、この建物の価値が改めて评価され、昭和初期の雰囲気を色浓く残す庁舎の内外は、絶好の记念撮影の场となっている。夜间にはライトアップされるなど、贵重な観光资源として见直された宫崎県庁舎。県の新しい「観光名所」として、大きな期待が寄せられている。
取材协力?资料提供/宫崎県総务部総务课、宫崎県文书センター
【宫崎県庁舎】
- 竣工:1932(昭和7)年
- 住所:宫崎県橘通东2-10-1