建物探访

隅田川?白鬚桥(しらひげばし)

工法と美意识のみごとな融合

2011. 02. 24

昭和6年、竣工当时の白鬚桥。全长168尘、幅员22.14尘

桥というものは不思议な装置です。不可能を可能にする装置。単に距离を缩めるだけのものでなく、いわば相対的なものでなく、絶対的な装置の一つなのです。

それだけにヒトは桥を架ける行為に昔から梦や情热や最先鋭の意识と技术を投入してきました。社会学者ジンメルはその着述の中で「単に空间的に隔てられているだけでなく、向こうとこちらが分割されていると感じる能力が桥を生み出す。両侧に分けられているという自覚が、これを结びつけようという意思になる。それは人间に固有の作业である」と述べています。さらに「ただ実用をみたすばかりでなく、直観に诉える具象として美の対象になる」とも。

东京?墨田区と台东区をわたす7桥のうち、いちばん北に位置し、ひときわの宏壮ぶりで优美な曲线を描いている钢桥があります。桥の近くの神社の名を冠した白鬚桥です。

昭和3年9月、大林組の手により着工、同6年6月に完成しています。このころ、期を画すように幾つもの大型の近代橋梁が各地で架けられていますが、中でもこの鋼橋のその伸びやかに躍動するプロポーションは傑作の一つに数えられています。工法と美意识のみごとな融合といってよいでしょう。

このあたりにはもと渡し舟がかよっていたそうです。それが大正3年頃、民間で木造橋を架け、渡り賃をとるようになっていました。大正14年、当時の東京府がこれを買収、このころから始まった都市計画事业の一環として架け変えを行いました。橋台は沈函、今でいうRC造のケーソン、橋脚は井筒式、すなわちRC造ウェルで、コンクリート使用量は10,933m3であったと记録が伝えます。现在のシステムとほとんど変わらないといってよいでしょう。しかし、当时としてはわが国に导入されたばかりの最新式の架桥技术だったのです。ただ、1台に2个沉设されたケーソンには1个につき23mもある72本の米松の杭が打ち込まれていて、それが时代を物语っているといえます。

  • それぞれに时代を映して、上を走る高速道路と好対照を见せる白鬚桥

太古、人类が桥を知ったのはどんなきっかけだったのでしょうか。纪元前2,600年顷、エジプトの初代王メネスがナイル川に石造の桥を架けたと伝えられています。桥もまた文明を计る一つの尺度となるのでは。ヒトが火を発见し、いま原子力の火をかかげるまでになっています。そして桥も海を渡すまでになりました。21世纪を迎え、私たちはこれからどんな桥を架けていくのでしょうか。

大林レポート狈辞.23(昭和61年発行)より
※ウェブへの掲载にあたり一部编集しています

白鬚桥

竣工:1931(昭和6)年
住所:东京都墨田区堤通~台东区桥场、荒川区南千住

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