地図を描く少年の梦と孤独

吉田悦之(本居宣长记念馆名誉馆长)

「端原(はしはら)氏城下絵図」という1枚の地図がある。端原氏城下とは、架空の都市であり、絵図は、もちろん想像の产物である。絵図には、领主端原氏以下家臣たちの系図も添えられていた。いま、この仮想空间が再びよみがえろうとしている。

本居宣长四十四歳自画自賛像
本居宣长记念馆所蔵

都市の制作者は、小津栄贞、おうづ?よしさだと読む。数えで19歳、伊势国松坂の人。あるいは、秘かに本居姓を名乗っていたかもしれない。いやこの姓は、祖先が国司北畠家の家臣时代の夸らしい姓だから、使っていたはずだ。后の国学者?本居宣长(1730~1801)である。

宣长と言えば、まず、『源氏物语』、そして『古事记』である。

「源氏」が好きで、40年にわたって讲釈を続け、时に文体模写をするうちに、紫式部の来访を幻视したこともある。そして、日本や中国、过去にもおそらく未来も、これに并ぶ作品はないだろうと称賛する。だがこれは后の话。

また、宣长は『古事记』を信奉した。この书は天武天皇が自ら编集なさり、声に出されて伝えられたものであるから、比肩するものがない贵い本であると、心力を尽くし、『古事记伝』44巻を执笔した。これも后の话となる。

宣长の72年の生涯には、いくつかの転机がある。

一つは、商いの道を断念し、医者に転身すべく京都に上った23歳。

京での5年半は、汉学を修め、和歌と『源氏物语』の面白さ、不思议さに魅了され始めた时期である。

二つ目は、「松坂の一夜」と呼ばれる贺茂真渊との対面と『古事记』研究を决意した34歳。

この二つの転机は、宣长について语る人の谁しもが肯(うべな)うところである。

なるほど、京に上るまでの宣长、つまり「端原氏城下絵図」を创造していた顷の栄贞は、国学者?宣长のイメージとはずいぶん违っている。

『古事记』は名前を知る程度か。『源氏物语』も粗筋を知っていたか否か。むしろ「源氏」よりも関心は『平家物语』だったかもしれない。

もともと物语が好きな子どもだった。8歳で手习い、やがて「千字文」によって汉字を习得し、『大学』『中庸』『论语』『孟子』の4书で儒学を学ぶ。併せて12歳から謡を习うがこれは性に合ったようで51曲を修めた。

謡曲は古典の章句の缀れ织りで、和汉の逸话と名歌のアンソロジー。名所の宝库。少年の、心のみならず教养にも影响を及ぼしたことであろう。

また歴史の物语を好み、14歳の时に『円光大师伝』を书写し、翌年には、松坂?树敬寺の秋の彼岸会で江戸の説教僧が几夜も语る赤穂义士讨ち入りの话を全部记忆して帰り、その神童ぶりが町の噂になったという。だが记忆抜群もだが、同じ年のいずれも全长10尘という力作『神器伝授図』や『职原抄支流』、また「本朝帝王御尊系并将军家御系」などを见ると、「歴史物志向」こそが注目されるべきかもしれない。

栄贞が伊势国松坂町に生まれたのは、徳川吉宗の享保の改革も后半、不景気が続く1730年であった。家は、江戸で木绵を商った。「江戸店持商人」である。その繁栄も今は昔语り、店の経営は悪化し、11歳の时に父が逝き、家族は本宅から鱼町の别宅に引っ越した。だが、小津家はこの町では名家、子どもにはたっぷりの教养を身につけさせた。

さて、先の『神器伝授図』は、古代の叁皇五帝から清に及ぶ中国4000年间の皇帝、その一族の详细な系図である。片や『职原抄支流』は、我が国の制度の研究书である。易姓革命を繰り返す中国と、天皇を顶点に仰ぎ、為政者は代わっても、连続する支配体系を守る日本とは、全く别の构造を持つのではと少年は考えた。「连続するものを尊し」とする志向の萌芽である。

もう一つの注目点は『职原抄支流』巻末の「宫城指図」など5枚の内里図だ。京都御所への関心もだが、その描図方法や笔跡は、同じ顷の作と思われる「【享保改正】新御造営当时内里御公家屋铺惣御门细见絵図」、そして17歳の大作「大日本天下四海画図」、さらに発展して「端原氏城下絵図」へとつながっていく。

新御造営当时内里御公家屋铺惣御门细见絵図
本居宣长记念馆所蔵

话が先に进みすぎた。もう一度15歳に戻る。この年の暮れ、元服した。少年から青年へとなり、修学もひとまず终わり、翌年には江戸大伝马町での商いの修行となる。

江戸へ出立する直前、栄贞は故郷松坂のガイドブック『伊势州饭高郡松坂胜覧』を作った。小册子だが现存する最初の松坂地誌である。町の歴史や周辺の名所などを记す。松坂を去るにあたってのオマージュであろう。はるか后年だが、この世を去る直前の「伊势国」(『玉胜间』)という国誉めにもつながっていくものである。

さてこの中で、町の构造を縦の并び、横の并びで明らかにしようと试みているのは画期的であろう。彼の理想の町も、次第に固まってくる。

地理への関心と、その场所の构造、だんだんお膳立てが整ってきた。

结局、事情は不明だが、江戸の生活は1年间で终わった。道中、また日本桥の暮らしで日本の広さを実感したか、帰宅后「大日本天下四海画図」という縦1.2尘、横2尘という大きな地図を描いた。3,019の地名、254の城主名。韩唐、罗列国(女岛)など架空の地、小野小町の出生地など情报満载だ。だが、地図というのは怖ろしい。17歳の栄贞はやがて宣长となって大活跃するが、その世界は、虾夷地、琉球国の一部、大八嶋国(おおやしまぐに)(日本の古称)が描かれたこの1枚の中に缚られてしまうのである。人は、描いた地図の中で生きていくのか。

本居宣长旧宅书斎「铃屋(すずのや)」
本居宣长记念馆所蔵

江戸から帰り、17歳で日本地図を描き、家の中での生活が始まる。小津屋の息子がわずか1年で棒を折って帰ったとあっては、亡き父や世间様にも颜向けできぬ。格好悪いから外には出るなと言われたか、栄贞にしてみれば、やりたいことはいくらもあるのでこれ幸いと部屋に闭じこもり、まず初秋には『都考抜书(とこうばっしょ)』を起笔した。

京都の地誌や、そこを舞台とする『平家物语』など片端から书き抜いた。书き続けること全6册までいった。一つの场所(トポス)には歴史や物语がある、この発想は謡曲とも関わるだろうし、何より京都への憧れがあった。続けて京都周辺図『洛外指図』を描いた。

また、17、8歳の顷から歌を咏みたいと思い1人で学び始めた。そのノートが『和歌の浦』で、これは京都时代も书き継がれ、やがて宣长の歌论『排芦小船(あしわけおぶね)』と成长していく。

周りの思いはともかくも、栄贞は、连続を尊重し、土地や町の构造に関心を持ち、和歌から京都志向へとしっかりと自分の世界を构筑し、その一つの集大成として「端原氏城下絵図」と系図は描かれるのである。

この絵図の作成に掛かった顷、宣长は京の旅をしている。

その1日、4月13日、三条大橋東の宿を出た宣長は、革堂(こうどう)、下御霊神社から「御築地ノ内」「禁裏」「仙洞御所」、そのほかの「諸御公卿ノ御屋敷」、続いて相国寺から、上賀茂神社、御菩薩池、下鴨神社、百万遍、吉田と廻り、黒谷でようやく落ち着き方丈を拝見し、元祖安置仏を礼拝、正清院伝御霊廟拝見。その後は真如堂を経て1日の行程を終えている。この駆け足の京都廻りは1カ月余も続くのだが、私が注目するのは「御築地ノ内、禁裏、仙洞御所、諸御公卿ノ御屋敷」である。これは「新御造営当时内里御公家屋铺惣御门细见絵図」の実地踏査だが、あるいは心の中では、端原氏城下を遊歩する自分を見ていたかも知れない。

では、この端原氏城下絵図と系図という仮想空间のその后は如何に。

栄贞が宣长となっていくなかで、端原氏の空间は完全に消灭したのだろうか。私はそうは思わない。やがて宣长と名を改めた彼は、京都での体験や読书、緻密な年表作成を通して『源氏物语』の世界を味わい尽くし、また糸筋ほどしか史料が残らぬと叹息しながらも『古事记伝』という、大仮想空间をつくることになる。端原氏の治世から、平安时代、そして神代へと时代と场所を変えながら、成长していくのである。

  • 现在のページ: 1ページ目
  • 1 / 1

吉田悦之(本居宣长记念馆名誉馆长)

1957年生。國學院大學文学部卒業。本居宣長記念館研究員などを経て、2009年同記念館館長に就任。2020年同名誉館長。公益財団法人鈴屋遺蹟保存会理事。著書に『宣長にまねぶ 志を貫徹する生き方』『本居宣長 日本人のこころの言葉』など。

この記事か?掲載されている册子

狈辞.64「地図」

地図は、人を未知の世界へと诱い、人はその一枚にワクワクさせられます。
私たちは、古くは岩に掘られた地図や歴史上の古地図、现代では卫星によるデジタル地図まで、様々な地図によって世界を认知してきました。世界の形や全体像が视覚化されるだけでなく、时には空想の世界が地図上に构筑されることもあります。
本号では、様々な地図を题材に、人々がどのように世界を観ようとしてきたか、何を観ようとしているのかなどを考察します。大林プロジェクトでは、国学者、本居宣长が19歳のときに描いた架空の都市図「端原(はしはら)氏城下絵図」の読み解き、立体復元に挑戦しました。
(2025年発行)

グラビア:これも地図?

全编を読む

地図とは何か

森田乔(法政大学名誉教授)

全编を読む

地図最前线―现在から未来へ

若林芳树(东京都立大学名誉教授)

全编を読む

见えている世界、见えていない世界

大田暁雄(武蔵野美术大学造形学部视覚伝达デザイン学科教授)

全编を読む

地図を描く少年の梦と孤独

吉田悦之(本居宣长记念馆名誉馆长)

全编を読む

OBAYASHI PROJECT

本居宣长の空想都市「端原氏城下絵図」を読み解く

想定復元:大林プロジェクトチーム

全编を読む

シリーズ 藤森照信の「建築の原点」(15) 日本水準原点標庫

藤森照信 (建築史家?建築家、東京都江戸東京博物館館長、東京大学名誉教授)

全编を読む

地図雑学

全编を読む