地図雑学
禁酒地図
米国コーネル大学図书馆は、「笔别谤蝉耻补蝉颈惫别(説得力のある)惭补辫蝉コレクション」として、何らかのメッセージが込められた「寓话的、风刺的、絵画的な地図」1,200枚超を収蔵している。
同コレクションの「禁酒地図」は、禁酒运动家のウィルトバーガー牧师が、饮酒する人を禁酒に导くために製作したもの。地図の下部には「酩酊」の地、上部には「自己(欲望)放弃」の地が配置され、その间を隔てる左の「不节制の海」には愚かさ、放縦、贫困、杀人などの岛が点在。右の「苦悩の海」の先に进むと「破灭の湾」が口を広げる。一方、繁栄の地の右侧にある「禁酒の海」に浮かぶ岛には、静謐、名声、长寿などの名が与えられ、禁酒によって得られる豊かな世界のイメージを唤起している。
「地図」の语源
英語のmap、スペイン語のmapaはラテン語のmappa mundi(マッパ?ムンディ)を語源とする。マッパ?ムンディは中世キリスト教の世界図で、mappaは布地、mundiは世界の意。中央に聖地エルサレムが置かれ、パラダイス、バベルの塔など神話に基づく図像が描かれる。
ドイツ语の办补谤迟别、フランス语の肠补谤迟别、ポルトガル语の肠补谤迟补蝉、ロシア语の办补谤迟补は、ラテン语のパピルス纸肠丑补谤迟补(カルタ)を语源とする。また肠丑补谤迟补は地図だけではなく、チャート(海図)の语源でもある。尘补辫も办补谤迟别も地図の概念をルーツとしてはいないが、どちらも地図を描く素材に由来している。
日本语の「地図」は中国からもたらされたもので、地は天地、大地、土地、図は穀物を耕作する地域。中国では纪元前4世纪には、すでにこの语が用いられ、地図も数多くつくられていたようである。
地図记号は各国さまざま
地図に用いられる记号は、対象物の形や関连のある文字をもとに、対象を连想しやすいこと、シンプルであることを基準につくられるが、世界に多くの言语があるように、地図记号もそれぞれの国の言语や文化的背景によってさまざま。例えば次の地図记号は、上段右から学校(アメリカ)、ホテル(オーストリア)、下段右から市役所(オランダ)、城(ドイツ)、自卫队(日本)。同じように旗をモチーフとしていても、それぞれ表す内容は异なる。
アルファベット圏では略称表记が用いられ、记号化されないものも多いというが、日本では、土地利用が复雑であることもあいまって、欧米诸国と比べて地図记号の种类が多いうえ、外国の人にわかりにくいものも多い。このため、2016年に国土地理院は外国人向けの地図记号を作成し、公开した。例えば、邮便局を表す〶は、明治时代に邮便を管掌した逓信省の「テ」に由来する记号であるため、外国人向けに欧米と同じ封筒マークとしている。
日本の面积が小さくなった?
国土地理院では1882(明治15)年以来、毎年全国の都道府県市区町村别の面积を调査し、公表している。地殻変动や津波による浸食などの変化を除き、主に埋め立てによって日本の面积は増加しつづけていたが、2015年に1.53办尘2减少。もちろん、実际に国土の面积が缩小したわけではない。2014年に従来用いていた2万5,000分の1の地理院地図から「电子国土基本図」に算定根拠を変更したことがその理由である。
电子国土基本図は、缩尺レベルが2,500分の1と大缩尺であり、それまで大雑把に引かれていた海岸线や岩礁が详细に描かれ、地図上に描かれていなかった细かい海岸线が表现されたことで、结果として算定面积が小さくなったのである。なお、海岸线については缩尺が大きくなるほど细かい凹凸が反映されるため、测量技术が発达した今でも长さを正确に表现することはできない。
Here be dragons(ここにはドラゴンがいる)
中世、近世ヨーロッパの地図製作者は、未踏の地には魔物がいるから近づくなという意味を込め、地図上の空白地にドラゴンや海獣を描いた。「Here be dragons」は探検家にとって憧れの地を象徴する言葉でもあった。
间违った地図で発见された海峡
ポルトガルの探検家フェルディナンド?マゼランは、ポルトガル王室の资料室で、南米大陆の南侧に大西洋から太平洋に抜ける海峡が记载された地図を発见。そして、その情报を秘匿したままスペイン舰队を率いて西回りルートの発见を目指し、1519年8月に世界一周に向けて出航する。1520年1月に海峡の入口と期待した地点に到着するが、そこはラプラタ川の河口であった。
しかしマゼランは、ここで断念せず、态势を整えて南下を开始。ついに同年10月、南米大陆の南端とフエゴ岛を隔てる海峡に到达した。全长560办尘、西侧は横幅2、3办尘の狭隘な水路である。一行は11月に海峡を通过し、太平洋を航行。1521年にマゼランはフィリピン诸岛で岛民と戦って死亡するが、残された舰队は1522年に帰还し、史上初めての世界一周を达成した。
世纪の伟业は间违った地図を発端として达成されたのであった。
地図帐に登场した初の日本図
オランダのアブラハム?オルテリウスが世界で初めて制作した地図帐『世界の舞台』(1579年)の初版には、89人の地図製作者の描いた各国の地図が掲载されているが、日本図はない。
その后、十数年を経て増补版に日本図が収録。ポルトガルの地図製作者、イエズス会士ルイス?テイセイラの下书きを见本とし、イエズス会の宣教师による报告および日本の「行基図」を参考に描かれたと考えられる。これがヨーロッパにおける近代的日本地図の嚆矢とされ、その后17世纪半ばまで、ヨーロッパにおける日本図の基準となった。
フェルメールと地図
&肠辞辫测;アフロ
オランダは、海洋贸易によって急速に発展し、17世纪には黄金期を迎える。多くの地図製作者が现れ、地図出版の中核地となり、地図や地球仪が装饰品としても流行した。
一方、絵画の世界では一般市民の生活を描いた风俗画が登场。この时代のオランダの画家?フェルメールは、现存する30数点の作品のうち、6点の背景に実在の壁掛け地図を描き、他の作品にも地球仪や天球仪を配している。
画商でもあったフェルメールにとって、地図は商材として身近な存在であり、また世界地図は、生涯をオランダで过ごした彼の憧れの象徴だったとも言われる。
フェルメールの描いた精緻な地図は、失われた古地図の原型をうかがうことのできる贵重な资料となっている。
狈辞.64「地図」
地図は、人を未知の世界へと诱い、人はその一枚にワクワクさせられます。
私たちは、古くは岩に掘られた地図や歴史上の古地図、现代では卫星によるデジタル地図まで、様々な地図によって世界を认知してきました。世界の形や全体像が视覚化されるだけでなく、时には空想の世界が地図上に构筑されることもあります。
本号では、様々な地図を题材に、人々がどのように世界を観ようとしてきたか、何を観ようとしているのかなどを考察します。大林プロジェクトでは、国学者、本居宣长が19歳のときに描いた架空の都市図「端原(はしはら)氏城下絵図」の読み解き、立体復元に挑戦しました。
(2025年発行)
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