シリーズ 藤森照信の「建築の原点」(15)
日本水準原点标库
藤森照信 (建築史家?建築家、東京都江戸東京博物館館長、東京大学名誉教授)
(东京都千代田区永田町 宪政记念馆庭园内)
写真提供:国土地理院
昔の地図は地面の形だけからできていたが、今はちがい、地形図には形に加え高さを示す等高线がくっきり描かれている。等高线があるから、道を通すにせよ河の流れをコントロールするにせよ、身近なところでは斜面に宅地を整备するにせよ、间违いなく実行することができる。
地形図の上で、等高线の段々を低いほうに下がってゆけば必ず最后は海抜ゼロの海岸线にいたり、高いほうに上がってゆけば、どっかの山の顶上にいたり、叁角点の印と标高が记入されている。
以上のことは地形図を使ったことのある人ならだれでも知っているが、さてでは、その等高线の高さと叁角点の标高はどうやって决めたのか、もっと具体的にはどこから测ってその高さを确定したのか。海岸まで出かけて海抜ゼロを决めようとしても、実际の海辺を思い出してもらえばいいが、波は寄せたり引いたり上がったり下がったりを繰り返し、どこが海抜ゼロなのか分からない。平気で1尘以上の误差が生まれてしまう。误差をゼロに近づけるには、日本の国土のどこか一点を基準点として、そこから测量を全国展开するしかない。
この问题に初めて取り组んだのは、明治の陆军の陆地测量部で、今の国土地理院の前身にあたる。明治24年、陆地测量部は、自分の属する陆军省の前庭の一点を画して基準点とし、そこから24.5尘下った位置にある油壷の海水面を海抜ゼロとした。そして以后、日本全国どこでも、この基準点から测った高さにより等高线を引き、标高を决めている。
日本の国土の高さを决める基準点のことを「水準原点」といい、今も、国会议事堂脇の旧陆军省敷地跡に立つ宪政记念馆の、庭の一画に存在する。
写真提供:国土地理院
半世纪近く前になるが、东京建筑探侦団という活动をスタートさせた当初、明治期の建筑文献を通して存在を知り、现场を访れて、目を见张った。明治时代の标库というから小さな炼瓦造の小屋との予想を大きく里切り、石造のそれも古代ローマ神殿风の小建筑が木阴に堂々と立っている。
近づくと、水平に走る石梁には右から左に向かって「大日本帝国」と浮き彫りがなされ、正面の壁には「水準原点」。今の日本で大日本帝国の5文字に出会うことはほぼないだろう。
写真提供:国土地理院
一呼吸してから、建物の作りをゆっくり眺める。こうしたヨーロッパの古代に范を採るスタイルをクラシック系といい、この建物が作られた明治初期には国の记念碑向きのスタイルとしての地位を确立していたから、设计者も採用したにちがいない。クラシック系にはギリシャとローマの二つの起源があり、これはどっちを基にしているのかを确かめる。
正面にペディメント(叁角破风)の载るのはギリシャもローマも同じだが、列柱の回し方に差があり、ギリシャは四周に立ち并ぶが、ローマは正面だけ。様式の勘所をなす柱の上部の柱头饰に着目すると、ギリシャはドーリア式、イオニア式、コリント式という叁つの定型を持ち、ローマはそれに混合式と简単なリングで済ます「トスカナ式」が加わる。
正面だけの列柱といい、トスカナ式の柱头饰といいローマにちがいないが、どうしてギリシャではなくローマにしたのか。
古代ギリシャと古代ローマの建筑の违いは、単纯化すると"ギリシャの质とローマの量"に分かれ、ローマは世界を制覇するため、都市も建筑も道路も水道も巨大化し、巨大化を支えるための标準化を旨として建设技术を発达させている。巨大化は建筑より土木工事において着しく、土木工事の基础的技术として测量が高度化していた。ローマ帝国は测量技术に支えられて繁栄していた。おそらく水準原点标库の设计者は、そのことを强く意识してギリシャではなくローマのスタイルを採用し、あるいはさらに、ローマ帝国を思い浮かべながら大日本帝国の5文字を刻んでいたのかもしれない。
现场を访れて"目を见张った"のは、この建物の设计者のことを、明治という时代をどう生きたかを知っていたことも大きい。佐立(さたち)七次郎という工部大学校の第1回卒业生で、他の3人の同级生(辰野金吾、片山东熊、曽禰达蔵)のように明治という进歩と拡张の时代を生涯かけて牵引することを途中で辞め、子孙の诗人金子光晴によると、「人との交渉を絶って、ひねくれ者として闲散无為な生涯を终わった」。「建设者たちの适者生存的な杀伐な気构えとテンポに、息切れしてついて歩けない、なにか気质なものがあると気づいて、手をうったとおもはれるふしがある」。
その佐立が、まだ元気に同级生と一绪に时代を牵引しようとしていた顷の堂々たる作がこの标库なのである。
最后列4人のうち右端が辰野金吾、左から2人目が佐立七次郎
2列目左から4人目、佐立の前に立つのが片山东熊、1人おいて曽禰达蔵
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藤森照信 (建築史家?建築家、東京都江戸東京博物館館長、東京大学名誉教授)
1946年生。東京大学大学院建築学専攻修了。主な建築作品に「ニラハウス」「高過庵」 「モザイクタイルミュージアム」、著書に『明治の東京計画』(岩波書店)、『建築探偵の冒険 東京編』(筑摩書房)、『藤森照信 建築が人にはたらきかけること』(平凡社)など。
狈辞.64「地図」
地図は、人を未知の世界へと诱い、人はその一枚にワクワクさせられます。
私たちは、古くは岩に掘られた地図や歴史上の古地図、现代では卫星によるデジタル地図まで、様々な地図によって世界を认知してきました。世界の形や全体像が视覚化されるだけでなく、时には空想の世界が地図上に构筑されることもあります。
本号では、様々な地図を题材に、人々がどのように世界を観ようとしてきたか、何を観ようとしているのかなどを考察します。大林プロジェクトでは、国学者、本居宣长が19歳のときに描いた架空の都市図「端原(はしはら)氏城下絵図」の読み解き、立体復元に挑戦しました。
(2025年発行)
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